暖簾(のれん)中むら|東京で暖簾の企画・デザイン・オーダーメイド製作 | デザイン | 暖簾(のれん)中むら|東京で暖簾の企画・デザイン・オーダーメイド製作 - Part 4
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暖簾分けとしての「のれん」の発祥(江戸時代)

のれん分けの発祥について 商家が永年商売を続け、築き上げた信用や知名度を営業上の市場の占有率などの無形財産を、屋号を印した暖簾に例えてのれん権といいます。商家では永年忠実に勤続した従業員を選び、のれん権の一部を分け与えて独立させることをのれん分けといい、のれん分けされた店舗は別家と言いました。江戸時代にのれん分けの制度が生まれたが、その当時は主家を絶対とした封建性が徹底されていました。江戸時代にのれん分けが生まれた背景は、当時の職業は家業が代々継承されて行き、その子々孫々の世襲を守るためと、株仲間という幕府公認の同業組合の仲間内で営業を独占することを守るためであると考えられています。 のれん分けを許されたものには、その商家の家紋とその物の名前が入った暖簾が与えられ、また本家から資本を得て独立して経営者となり新たな商売を始めるものは同業の商売、本家と同じ業者・得意先との取引が禁じられ厳しい制約がりました。また、その契約は子孫の代まで続くものであり、これは大商店になればなるほど厳しくなり、中小はもう少し情味があったとのことです。つまり、非常に親の力が強く、現代に比べて強制力の強い契約でした。...

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暖簾の色について

江戸時代では、暖簾の色は業種によって「ある程度」決まっていました。 色数の限られていた時代では、地色としては紺・藍・縹・柿・茶・浅葱などで、それに屋号などを白抜きしたのと、白地に墨で文字を入れたのが主でした。色の決め事に関しても商家が自店の伝統色を受け継いでいるなど実はそこまで決まった定式はなく曖昧なものでした。しかし、暖簾を広告媒体として用いる様になり自然発生的に色の大まかな定式ができたのは当時の風俗を想起させる面白さがあります。 a) 紺・藍:最も多く暖簾に使用される色であった。藍に虫除けの効果があるため、呉服商が用いたり、一般的な手堅い店がこの色を使っていた。 b) 縹(空色):派手な縹色は吉原の遊郭や引手茶屋の店先で使われていた。 c) 柿:柿渋で染めていたことから柿色と呼ばれていた。色味は歌舞伎の定式幕の茶色。遊郭で遊女の上品の太夫がいた店にだけ許された色とも言われており、太夫名を許された印として柿色の暖簾を与えられ、太夫のいる店は柿色、その他は空色・紺色が多かった。他にも一部の呉服店や料亭も柿色の暖簾であった。 d) 茶:赤みがかった茶の柿色に対し、黄味がかった茶色で主に煙草商が用いた。 e) 浅葱色:藍より淡い青。遊所で主に用いられていた。江戸の出会茶屋や大阪の盆屋や、芝居茶屋や相撲茶屋には浅葱色の地色の絵暖簾がかけらえていた。 f) 白:白地の暖簾は菓子商や薬商(当時は砂糖が薬であったため)が多かった。また、菓子店の中にはたれ毎に紺と交互に仕立てた暖簾も見られた。 g) 禁色:高貴な色である紫は一般には勝手に使えない色であった。また、色の印象が強い黄色や緑は暖簾には使われていなかった。   現代でも多様な色彩の暖簾がある中、その自由度に面白さがあると考えるので、あまり定式にこだわる必要はないと考えます。しかし、江戸時代の風俗を感じる上で知って置いても良いかと思います。  ...

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DOTDOT-Hiki-zome

シンガポールの建築デザイン事務所のMinistry of Desginと共創したDOTDOYの引き染めverです。 日本の手染めの素晴らしさを伝えるデザインのDOTDOT。コンセプトはプロセスの可視化です。引き染めは伸子という木で生地を空中に張り染めて行く技法で、非常に美しいグラデーション表現が可能です。今回はその引き染めのグラデーションを4回重ねるという非常に技術難易度が高く工程の多い技法で挑戦しました。染め→洗い→蒸しという工程を4回繰り返し、その際の色のぶつかりもある程度計算しながら染めるのは熟練の技です。しかし、その中も手仕事故の成り行きがあり、黄色のつくの様なDOTの中に色のぶつかりが生じると、それは月の影の様になりました。手仕事ならではの優しい表現です。 ...

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DOTDOT – Indigo

シンガポールの建築デザイン事務所のMinistry of Desginと共創したDOTDOYの藍染めverです。 日本の手染めの素晴らしさを伝えるデザインのDOTDOT。コンセプトはプロセスの可視化です。今回の藍染めは両面に糊をおく非常に技術の難易度が高い技法で挑戦しました。両面に糊をおくのでその加減は非常に繊細で片面毎で止まる(浸透しない)様にするには糊の配合やヘラの力加減など多くの技術を必要とします。今回は、更にその両面糊おきを2回行い4層の色の濃淡を表現しました。微妙に色が変わるDOTは奥行きのある表情となりました。 ...

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KYOproject 2ndyear exhibition in Hong Kong

中むらが参画しているシンガポールデザイナーとの共同プロジェクトの2年目の展示会を香港で開催しました。 2年目の取組は初年度に製作したDOTDOTの別技法を製作し、染色の多様性を伝えようというものです。技法は初年度の和更紗に引き続き、藍染め・引き染めにて製作をしました。また、生地の風合いも綿ピッケという薄手の生地にすることで光が透過した際の美しさを訴求しました。こちらは、摺りで片面を染める和更紗と違い、2年目の藍染めの浸染と引き染めは染色が裏まで浸透するからです。各々個性がある作品に仕上がり、これらをきっかけに日本の染色を提案したいと思います。 ...

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暖簾(のれん)の中むら・イメージビデオ

中むらのものづくりのリソースを納めたイメージビデオです。 中むらと暖簾づくりの活動をともにする職人は個人のユニークな技術を持った染め職人・染織作家などから、職人の道具をつくる職人、中規模の染色工場まで多岐に渡っています。伝統と現代、どちらにもその良さがあり、それらの多様性を総合的に提案することが技術の新たな販路を創造することに繋がると考えています。また、それらの技術や素材の特性を知り、職人と同じ方向を向いてものづくりをするディレクターが必要であり、中むらはそのような存在になれることを目指して活動をしています。   https://vimeo.com/207729855...

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暖簾の染色技法-和更紗

中むらで扱う暖簾の染色技法、和更紗のご紹介です。 和更紗(わさらさ)とは、日本で更紗模様を染める為に発展した多色の模様染めです。手描きや木版などの更紗染めはアジアでも用いられていますが、型紙を用いて染めるのは日本独自の染色技術です。型紙で染める際は、生地の上に型をおいて、その上から摺り(すり)刷毛という鹿の毛の刷毛で摺って染める技法で、色ごとに複数枚の型紙を使って染めることが特徴です。何度も何度も刷毛で摺って色の濃度を調節していく中で生まれる色は淡く日本らしい美しさがあります。 ...

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暖簾と日本人の精神

暖簾は1枚の布を隔てて内と外を分ける認識としての結界です。 布を隔てて向こう側が視認できたり、気配を感じることができたりと緩やかに仕切る認識としての結界です。西洋文化の壁とは違い全てを遮断せずに、風を受けて柔らかになびく様は、自然豊かな日本で育まれた調和を好み大切にする日本人の精神性が育んだ価値観により形成されたと考えています。 ...

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暖簾(のれん)の歴史

暖簾は店先や屋内を仕切る布の結界で、紋や屋号を染めて日本の商家が紡いだ歴史や名声を表す「顔」として現代まで用いられてきた日本独自の文化です。 暖簾の始まりは、弥生時代に住居のチリや日よけとして現在の形の原型が生まれたと考えられており、平安時代に寝殿造の塀障具へとも派生しました。鎌倉時代に禅が普及すると共に「暖簾」という名が定着し、室町時代には意匠を染め抜くことで民家や商家の目印として用いられはじめました。その後、江戸時代に入り一大商業地となった江戸で、他店との差別化を図るため一気に屋外広告へと進化し、暖簾が店の顔でありブランドという概念が生まれました。そこから現代まで、暖簾は形を変えず日本独自の価値観とともに続いてきました。歴史の中で様々な変容を経て繋がってきた暖簾は日本独自の文化です。 ...

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JAPAN BRAND FESTIVALに登壇させて頂きました。

東南アジアマーケットの可能性について登壇しました。 代表の中村新が渋谷ヒカリエで開催中のJAPAN BRAND FESTIVALにて、KYO projectを通じて感じた海外デザイナーとの共創についてや東南アジアマーケットの可能性についてお話をさせて頂きました。来週9日〜はKYO project2年目のアウトプットとして香港で展示会を開催しますので、お気にかけて頂けたら幸いです。また、JBFは明日最終日も魅力的なコンテンツが盛りだくさんですので、ぜひ奮ってご参加ください! ...

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