暖簾(のれん)中むら|東京で暖簾の企画・デザイン・オーダーメイド製作 | Blog Masonry
18965
paged,page-template,page-template-blog-masonry,page-template-blog-masonry-php,page,page-id-18965,page-child,parent-pageid-1815,paged-3,page-paged-3,eltd-core-1.0,ajax_fade,page_not_loaded,,select-theme-ver-3.4,vertical_menu_enabled,wpb-js-composer js-comp-ver-4.12.1,vc_responsive

染色技法-手捺染-

現代のプリント技術の原型である手捺染。 江戸時代には和紙を漆で貼り合わせ、燻して強度を持たせた伊勢型紙を染め型にしていました。現代では、スクリーンと呼ばれる機械で切り抜いた型を用いることが多くなりましたが、染色は職人さんの手仕事で行われています。微妙な力加減やその日の気候に合わせた色糊づくりなど、シンプルながら熟練の技術が詰まっています。 ...

現代ののれん分け-昭和〜平成

戦前から日本では小売業界にはいまに言うチェーン店が始まっていました。 戦後にはアメリカの経営技術や組織形成が導入され、多様なチェーンへと広がっていきました。大正までののれん分けと昨今の欧米導入型のチェーンは構想や形態は異なりますが、共通していることは主家が相手のことを認めて連鎖している点や、古来は家定と誓約で別家を認めたものが契約を基盤とした営業参加になった点であり、現在の日本の小売チェーンはのれん分けが基になっていると考えられています。この一番最小のルーツが布であり、屋外広告物の暖簾であったことは非常に興味深いです。...

のれん分けの変容-明治〜大正

江戸時代に始まった暖簾分けは、明治時代に入り商法大意が発令され、株仲間制度の廃止で商売が自由となり、その考えは大きく変わりました。 これは起業の機会ともなり、大商店は他業界への参入を可能にし、また従業員も主家と話し合いの末、支店という名目でののれん分けも可能となりました。当時の多くの従業員は、徴兵されない場合数年を主家で働き給料を貯めて独立しましたが、自己資金だけでは足りないので、主家の視点というのれん名をもらい、仕入業者にも主家の口添えのもとで商売を始めていました。これが江戸時代との大きな変化であり、支店が大きく普及した要因でした。...

無形財産としてののれん-のれん分けの発祥(江戸時代)

商家が永年商売を続け、築き上げた信用や知名度を営業上の市場の占有率などの無形財産を、屋号を印した暖簾に例えてのれん権といいます。 商家では永年忠実に勤続した従業員を選び、のれん権の一部を分け与えて独立させることをのれん分けといいます。のれん分けされた店舗は別家と言い、江戸時代にのれん分けの制度が生まれたが、その当時は主家を絶対とした封建性が徹底されていました。 江戸時代にのれん分けが生まれた背景は、当時の職業は家業が代々継承されて行き、その子々孫々の世襲を守るためと、株仲間という幕府公認の同業組合の仲間内で営業を独占することを守るためであると考えられています。しかし、中には株仲間の権利を買い取って新規に商売を始めるものもいました。のれん分けを許されたものには、その商家の家紋とその物の名前が入った暖簾が与えられ、また本家から資本を得て独立して経営者となり新たな商売を始めるものは同業の商売、本家と同じ業者・得意先との取引が禁じられ厳しい制約がありました。また、その契約は子孫の代まで続くものであり、これは大商店になればなるほど厳しくなり、中小はもう少し情味があったといいます。...

【店舗暖簾製作実績】神田・寿美吉

東京・神田の老舗蕎麦屋、寿美吉さんの暖簾を製作しました。 寿美吉さんの暖簾は神田の鍛治町一丁目町会の青年部からの改装祝いとして贈られました。お店のお祝いや記念品にも暖簾は喜ばれる贈り物です。 ...

暖簾の仕立てについて

暖簾の棒を通す仕立てには定式があります。 乳(チチ):暖簾をかけるには上端部に棒を通すための輪状の布を取り付けます。それを乳(ち・ちち)と呼ばれ、関東に多く見られます。和の印象が強くなります。 袋(フクロ):棒を通しを一連で縫い付けて袋状の仕立てで、京阪で用いられていたと言われています。現代ではモダンな印象があります。 露(ツユ):露とは暖簾の垂れの空き止まりに三角形の染革、色布を縫い付けたもで爪結とも書きます。これは遊女の暖簾などに用いられており、紅絹の露は新人女郎の目印でもありました。 ...